精神と理論のお話

今日はちょっとだけ真面目な話を。


 理数系まっしぐらな僕は基本的に人間関係も理論的に考えてしまいます。基本的には「ここにはこれくらい時間をかけよう」「こっちにもちゃんと付き合おう」などと最初に時間を割り振って、そのとおりに動いています。個人的には非常に合理的でなおかつみんなが満足できるように動いているつもりでした。


ところが…そうでもないみたいです。


 どうも僕は親しい人からは「冷たい人」に見えるみたいです。何でも最初に考えてそれに沿って行動していますから、親しい人からは「俺の、私のほうを見てるようで全然見ていない人」と言う風に取られてしまうみたいです。僕自身は冷たくしているという自覚は全く無く、相手も満足してくれていると思っていたのでかなり衝撃でした。


 それに加えて、最近何となく、感情的になることが少なくなってきたような気がします。感情的にっと言うのは、日常生活で怒る・笑うと言うものではなく、悲運な境遇の人をみて一緒に涙するとか、親しい人にいいことがあったときに一緒に笑うとか、そういう部類のものです。僕自身はあまり気付いていなかったのですが、ここ数日の間にちょっと言われまして、「ああ・・・良く考えたらそうかな。」と思いました。日常の感情の起伏とは違う、こういった所はその人間の本質が出る部分だと思います。そういう観点から言うと僕は十分冷たい人間なのかもしれません。


 いつからこのような感情が少なくなってしまったのか、自分でもわかりません。忙しさにまぎれてしまったのか、自分が本質的に代わってしまったのかも何とも言えません。ただ、正直「ちょっとまずいかな」と思ったりしているわけです。そして、どうも先述の「なんでも理論・合理性だけで考える」方法が、自分をこうしてしまったような気がします。


 これはある意味「精神病の一種」と言っても良いかもしれません。理論的思考がいつのまにか感情を追い出して、コンピューターのような人間になってしまっているとしたら、それは一種の病人だと思います。



そして、研究開発という職業、あまりに時間の無い環境がそれに拍車をかけていると言うのも大体分かっています。そして、追い討ちをかけるように最近、感動したり一緒に泣いたりすることを恥ずかしく思う自分がいます。どうも悪い方向へ進んでしまっているようです。



ただ…



理由はわかっていても、それをどうやって直すかはまだ分かりません。ただ、ほおっておけば(本人はさりげなく色々やったり、がんばってるつもりだとしても!)、ただの冷たい人になってしまう気がしてなりません。取り合えず、身近な感動を探したりすればいいのだろうと何となくは思っていますが、まだ根本的な直し方、と言うより回復の仕方?は分かりません。



ひょっとしたら、これから先数年間のテーマになるかもしれません。